作曲家・ギタリスト橋爪皓佐《関西クラシックギターの挑戦者たち④》


今回は豊中市立芸術文化センターにてギタリスト/作曲家・橋爪皓佐さんにインタビュー。ギタリストとしての活動のみならず、作曲家として現代音楽を軸とした様々なプロジェクトに携わる橋爪氏は、ジャンルにとらわれないユニークな活動を展開しています。現代アートなど様々な分野のクリエーターとコラボレーションする橋爪氏ならではの興味深いお話を聞くことができました。(聞き手:米阪隆広)

ギタリスト/作曲家・橋爪皓佐─────ギタリストの中ではユニークな経歴をお持ちのようですが、ギターを弾き始めたのはいつごろでしょう?

もともと5才ごろからピアノは習っていたんですが、中学校でマンドリン部に入部してそこでギターパートを弾くようになりました。中高一貫の学校だったんですが、部活動はは中断している時期があって友達とバンドを組んで作曲も始めていました。ピアノの発表会でも自作の曲を弾いたりしていましたね。同時期に声楽も習い始めました。

─────ピアノにギター、バンドに声楽と10代のころから音楽に取り組んでいたんですね。将来の目標として音楽家を志したのはいつごろでしょう?

実は小学生のころからなんです。といってもジャズ・ポップス・クラシック・・・どういう音楽家になりたいかは、まだ漠然としていました。どんな音楽の道に進むにしても、ともかく必要になるだろうと思って英語はしっかり勉強していました。
高校の3年生からは語学留学でスコットランドに渡ったんですが、英国の高校は音楽教育が非常に充実していて、そこでギター、声楽、作曲と音楽を本格的に勉強し始めました。その頃にいろいろな方が励まし後押ししてくださって、音楽の道に進む意思がはっきり固まってきました。
いったん帰国して西垣正信先生にギターを学んでから再び留学し、フランスのニース音楽院のギター科・エクリチュール科(和声・対位法などの作曲上の書式を学ぶ科)で学びました。この時はアコ・イトウ、アンリ・ドリニの両氏に師事しています。
その後はベルギーのブリュッセル王立音楽院へ進学して、ギター科を修士課程中退した後、作曲科の学士終了時点で帰国しました。
ところがそれで終わりではなく、さらにその後も京都芸大大学院作曲科、英国王立音楽大学への短期留学と勉強が続きましたが・・・

作曲家・ギタリスト橋爪皓佐─────音楽院・音楽大学などで学んでいた期間がかなり長かったんですね。ということは実際に音楽の仕事を始めたのは遅かったんでしょうか?

いえ、京都芸大に入る前くらいから学業と並行して音楽の仕事も始めていました。
ベルギーからの帰国前に受けた大阪国際マンドリンコンクール作曲部門のファイナルに残ったことがきっかけで、マンドリン関係での作曲、演奏などの依頼をいただけるようになりました。
特にマリオネットさん(ポルトガルギター湯淺隆氏、マンドリン吉田剛士氏によるアコースティック・デュオ)から、お二人の主催するマンドリンオーケストラをはじめ、吹奏楽や演歌の伴奏など、様々な編成への編曲の依頼をいただけたのが大きかったですね。
またベルギーにいたころから作曲家とコラボレーションして、いろいろな作品を初演していくという活動をはじめていました。委嘱作品を中心とした楽譜出版プロジェクトも帰国後から開始しています。

─────作曲・編曲の仕事が多いようですが、演奏家、ギタリストとしての活動はどのようにされているでしょうか?

ベルギーからの帰国前後が最も多く、月に3~4回演奏していました。現在は現代音楽を中心とした演奏活動が中心で、ギター作品の新作初演をを頼まれたときや、自主企画を開催するときに演奏することがほとんどです。もちろん留学中は王道のクラシックギター・レパートリーも弾いていましたよ(笑)

─────他の楽器と比べてギターという楽器の持つ「難しさ」はあるでしょうか?

「ギター」であることによって一種の色眼鏡で見られるという点ですね。一般の方にギタリストと名乗るとポップスを弾いていると思われがちですし、逆にクラシックギター関係では「普通のギタリストとは違う変わったことをやっている」と思われてしまいます。自分としては「そんなことないのにな」という思いがあるんですが・・・

作曲家・ギタリスト橋爪皓佐─────そもそも「クラシックギターとは何か」という定義付け自体が難しいですよね。
現在の音楽活動のメインとなるものはどういった活動でしょう?

実は逆に自分の音楽活動に「主眼」というものをなるべく置かないように意識しているんです。あえていうと音楽にこだわらない音楽活動というか・・・映像・空間表現などの他のアーティストと共同で行う企画など、音楽だけで完結しない取り組みを積極的に行っています。
これは2014年にFeldstärke Internationalという、ジャンルを問わない芸術家が、3か国から10名ずつ集まり共同製作を行うという企画に参加した経験が大きく関係していています。その企画の中で出会ったサウンド・アーティストの白尾佳也氏と、”Telecho”(サウンド・インスタレーション+パフォーマンス)という作品を作りました。翌年も彼とその企画の主催者であるドイツの芸術センターで音楽とサウンドアートの中間を探る共同製作を一ヶ月間行いました。(”counterline” 対位法を視覚、言語化した作品)(”砂のトレモロ” 砂をテーマにした映像作品)
また現在企画しているのは「始まりと終わりのない音楽」というものです。音楽にはいくつかの枠組みがあり、たとえば作曲作品には「始まりと終わり」があって初めて音楽作品となります。同様に「コンサートという始まりと終わりの枠組み」があってその枠の中で「演奏」を行うことが常識になっていますが、それって本当に普通のことなのかな?という疑問を投げかけるところからスタートしています。そのような趣旨の作品をたくさん集めて展示のコンセプトを考え、演奏会という枠をはずしていくことを試みています。

─────現在特に力を入れているのはどういった企画でしょう?

自身のライフワークにしていきたいと思っているのが作曲作品の公募です。作曲されてから一度も演奏されていない作品、一度初演されただけの作品、ある国でだけ演奏された作品などが世界中に数多くあります。そういった作品を日本で紹介できないかと思って始めたプロジェクトです。
自分も作曲家だからわかるんですが、これはお互いにメリットがあるんです。こちらが楽譜を購入したり、音源を探したりしなくても、演奏されることを望まれている作品と簡単に出会うことができ、また作曲家にとっても音楽家に演奏料を払わなくても自国外で作品を発表する機会を得る事ができます。
現代はインターネットによって世界の距離は縮まっていますから、より現代的な作品発表の場を作っていこうという趣旨ですね。先ほどの話にあった「演奏会の形式を塗りかえる」という試みの一環でもあります。
公募作品も徐々に増えて昨年は100曲ほど集まりました。続けることで信頼が醸成されてきたこともありますが、このような公募企画は作曲家自身が参加費を払わないといけないことがざらにある中、私は無料で行っている事も大きいのかもしれません。自分はギタリスト(演奏家)と作曲家の中間の視点を持っているので、こういった公募でもニュートラルな立場を取れると思います。

─────今後の目標はどういったものでしょう?

将来的にはこういった公募の企画をより大きなプロジェクトにつなげて、逆に自分たちが海外に招かれるような存在になりたいですね。
今年から「ロゼッタ」というアンサンブルを立ち上げて公募作品の演奏を始めているんですが、2本のギター、左手ピアノ、マンドリン、マンドラ、サクソフォンという一風変わった編成でやっています。ロゼッタでは映像によってコンサートをコントロールしたり、美術館で展示するように演奏を行うなど、新しい音楽表現の形を探る活動を行っています。
音楽家、特にギターやマンドリンはどうしても同じ楽器の中で固まってしまいがちですが、たとえばメンバーがロゼッタでの経験を自分の別の音楽活動に応用したり、演奏を聴いてくれたお客さんが別の楽器に興味を持ってメンバーの別の演奏会に来てくれたり・・・という風に「交流の地点」として機能してくれたらと思っています。

ロゼッタ  橋爪 皓佐 (ギター・作曲家) 代表 有馬 圭亮 (左手のピアノ) 柴田 高明 (マンドリン) 永田 参男 (ギター) 日下部 任良 (サクソフォン) 佐古 季暢子 (マンドリン・マンドラ) 宮坂 直樹 (美術)

ロゼッタのコンサートのワンシーン。全聴衆がどの演奏家の手元も視覚的に鑑賞できるような会場となっている。

─────最後に、関西ギター界での自分の役割はどのようなものだと考えていますか?

自分はギタリストでありながら「ギター界」というものから一歩離れた外の場所にいると思っています。これは決して悪いことではなく、ギタリストの皆さんと時おり関わりながら、外部との橋渡しをする「中間地点」「ガイド役」として動けたらなと思っています。
実際、不思議なことにギター以外の仕事を数多くこなすようになってから、逆にギター業界との関わりが増えてきたんですよ。
私のような現代音楽など他の方があまりやっていないジャンルが中心の演奏活動をしたり、他の方とは違う音楽への取り組み方をするギタリストがいることで、結果的にギターのすそ野を広げることの一助になるのではと思っています。

─────ありがとうございました。

「関西クラシックギターの挑戦者たち」に戻る


レポワ音楽事務所

© 2024 米阪ギター教室