ギタリスト井筒将太《関西クラシックギターの挑戦者たち⑤》


神戸マンボーギター教室でギタリスト井筒将太さんにインタビュー。神戸~淡路島での地域密着の音楽活動とともに、ギターをもっと楽しくするイベントも積極的に企画されています。「人のやっていないことを企画していきたい」という井筒さんの試みについてお聞きしました。(聞き手:米阪隆広)

ギタリスト 井筒将太─────井筒さんは相愛大学音楽学部でギターを学ばれたということですが、ギターを始めたきっかけは何だったのでしょうか?

中学二年の時に、自宅の押し入れの奥に埃まみれのギターケースがあるのを見つけたんです。聞いてみると母が大学生のころフラメンコギターを習っていたということで、そこから興味を持って母に教えてもらいながら少しずつ弾き始めました。ただその時はギタリストを目指していたわけではなく、単に趣味という感じでしたね。
そのまま普通に塾に通って大学受験を目指していたんですが、高校三年の夏にふと「自分の好きな事を追求したい」という思いが押し寄せてきて、塾をきっぱりやめて濱田圭先生に弟子入りしたんです。

─────それは急激な方向転換ですね!半年ほどの短期間で勉強して相愛大学に入るのは大変ではなかったですか?

はい(笑)それまできちんと音楽を勉強していたわけではなかったので、まず濱田先生にギターの構え方から弾き方まで徹底的に直していただき、受験のために楽典やピアノも一から必死で勉強しました。

─────プロギタリストとしてやっていこうとはっきり決意されたのはいつごろですか?

大学2回生の時です。実は2年目の前期に体調を崩してしまい、大学に通えずギターも弾けない時期があったんです。その時にもんもんとしながら「後悔するような人生は送りたくない」という決意が固まってきました。体調が快復して学校に戻ってからは、「何を置いてもまずギター」という想いで猛練習するようになりました。
それからギターコンクールにも何度か挑戦していたんですが、2位や3位にはなれてもどうしても優勝はできず、くやしい思いをしていました。それでこのままではいけないと一念発起して、大学を卒業してから、まずスペインのリナーレスにあるアンドレス・セゴビア音楽院に留学しました。そこで3年ほど学んだあと、次はアリカンテのオスカル・エスプラ上級音楽院で2年演奏を勉強しました。

ギタリスト 井筒将太─────5年間の留学で得た最も大きなものは何でしょうか?

音楽的、技術的な成果ももちろんありましたが、一番大きかったのが「出会い」ですね。師匠との出会い、仲間との出会いがその後の自分の人生に、直接的にせよ間接的にせよ大きな意味があることだったと思います。
実際、留学中のご縁がつながって師匠のイグナシオ・ロデス氏のコンサートを昨年開催することもできました。

─────井筒さんにとって「ギターの難しさ」とはどういったことでしょう?

ギタリストの社会的な地位が安定していないことですね。ギターで仕事を見つけ、食べていくのは非常に難しいことです。ただこれは音楽・芸術関係のすべてに言えることかもしれませんが。
最近では芸術家が社会の中で自身の地位を確立するために「関西創造アート(KSA)」という団体を仲間たちと立ち上げて準備しています。どなたにも参加していただけるようなイベント、企画内容を提供し、地域とのコミュニケーションを通し、文化交流や地域の活性化を目指していくことを目標にしています。

ギタリスト 井筒将太 うたごえ温泉─────現在の音楽活動はどのようなことを中心にされているでしょうか?

演奏家としてはソロだけではなく、アンサンブルやバイオリン、歌などギター以外の音楽家との共演を増やしています。
さらに今年はヤマハさんで「クラシックギターで聴くポップスコンサート」を企画して大変好評をいただけました。重厚なクラシック・レパートリーだけでなく、親しみやすい作品の演奏で一般の皆さんにクラシックギターを知っていただく事が出来たかと思います。
また神戸市を中心とした地域でカフェやレストランなどでの演奏会・イベントを企画していて、最近では近くの灘温泉で『うたごえ温泉』というイベントを考えています。
音楽とは直接関係のない活動ですが、近所の市場がシャッター通りになってしまって人通りが少なくなっていたのを元気にするために、夏祭りを企画したりもしました。
こういった企画を立てることはなかなか大変ですが、音楽家にとっても地域との関わりを大事にすることは必要だと考えて楽しんで積極的にやっています。先ほどの話につながりますが、このような地域での活動の積み重ねが音楽家の社会的な立場を確立するきっかけになるんじゃないかと思います。

─────最近淡路島に移住されたそうですが、どういった経緯からでしょう?

もともと父の実家が淡路島だったため土地勘があったこともあるんですが、やはり淡路島自体の魅力から結婚を機に移住を決意しました。
移住以前から淡路島でもギター教室を開いており、地元のギターグループとも交流があったため、前々から淡路島の自然や土地のよさに魅了されていました。いわゆる「スローライフ」みたいな考え方ですが、それだけではなく田舎の方が練習環境もいいと思うんです。時間もゆっくり取れるし、静かなので音楽により集中できるように感じます。実際、世界的に活躍されている海外の音楽家でも普段は田舎暮らしをしているという方は多いですよね。
また、淡路島はこちらに比べてギターの認知度はあまり高くないので普及活動の一環とも考えています。

ギタリスト 井筒将太─────昨年、留学時代の師であるイグナシオ・ロデス氏のコンサートを開催されましたが、こういった企画は今後もされていきますか?

そうですね。これまでの大きな企画として他にもアグスティン・バリオスの映画(『マンゴレ』愛と芸術の果てに)の上映会を開催しました。これからもそういう機会があれば積極的に行っていきたいと思っています。
これは将来の夢としてあたためている企画ですが、「淡路島ギターフェスティバル」をぜひいつか実現したいと思っています。最初は小規模なものからになるかもしれませんが、淡路島のすばらしい自然環境の中で行うギターの祭典として一大イベントにしていきたいです。淡路島にはいい施設がたくさんあってギター合宿で宿泊できる場所もありますからね。

─────井筒さんにとってご自分の「関西ギター界での役割」はどのようなものだとお考えでしょう?

ここ何年かで様々な海外の大物ギタリストの関西公演が企画されて、ギター界も活気づいているように感じています。私自身はまだ大きな企画はなかなかできないですが、逆にまだだれも着手していないこと、目を付けていないことを企画して、皆さんの新しい興味をかきたてる事が出来たらいいなと思っています。
具体的な将来の夢としては山下和仁さん(「展覧会の絵」の全曲ギター演奏などで知られるギタリスト)のマスタークラスをいつか企画したいと思っています。日本ではおそらくほんど公開レッスンはされていない方ですが、海外ではときおり教えてられるようで、実際私はスペインのコルドバで一度レッスンを受けているんです。海外での公開レッスンなので日本人同士なのに、通訳を介してレッスンを受けるという不思議な状況になってしまいましたが(笑)
なんとか日本、関西でのマスタークラスを実現させたいと願っていますので、これから働きかけていきたいと思っています。

─────それは実現出来たらギター界にとっての一つの「事件」ですね。楽しみです!
最後にこれを呼んでいるみなさんへのメッセージをお願いいたします。

ギターをはじめ音楽のすばらしいところは、ギターを弾いている間はだれもが「社会」をはずして平等になれるというところです。性格・個性・地位・能力はみんな違いますが、どんな人でもギターの前では平等です。だからこそギターを介した人と人とのつながりは素晴らしいものなんですね。私自身も頑張って、まずは自分の周辺の地域からそういうつながりをもっと広げていきたいと思っています。

─────ありがとうございました。

「関西クラシックギターの挑戦者たち」に戻る


神戸マンボーギター教室

© 2024 米阪ギター教室